●調布市西部公民館主催 2011教育講座「遊学塾」(持続可能な未来を子どもたちに残すために)プレ企画 関曠野さん講演会
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演題「3・11以後~~原発事故をくぐった日本の将来を考える」
「戦前の日本帝国はヒロシマで終わり、戦後の日本株式会社はフクシマで終わった~~」(関曠野「図書新聞」3011号より)。3.11は、私たちに何をもたらし、私たちはどこへ向かえばよいのか。グローバルな歴史的視野で3・11以後を考える思想史家関曠野さんの講演会です。
9月24日(土) 午後6時~8時終了予定(開場午後5時30分より)
会場:調布市文化会館たづくり8F映像シアター(京王線調布駅南口徒歩3分)
http://www.chofu-culture-community.org/forms/menutop/menutop.aspx?menu_id=723
入場、無料
定員:申込み順100名
お話 関曠野さん プロフィール
1944年生まれ。評論家(思想史)。共同通信記者を経て、1980年より在野の思想史研究家として文筆活動に入る。思想史全般の根底的な読み直しから、幅広い分野へ向けてアクチュアルな発言を続けている。著書に『プラトンと資本主義』、『ハムレットの方へ』(以上、北斗出版)、『野蛮としてのイエ社会』(御茶の水書房)、『歴史の学び方について』(窓社)、『みんなのための教育改革』(太郎次郎社)、『民族とは何か』(講談社現代新書)などがある。また訳書に『奴隷の国家』ヒレア・べロック(太田出版)がある。現在、ルソー論(『ジャン=ジャックのための弁明 ― ルソーと近代世界』)を執筆中。
●主催
調布市西部公民館 〒182-0035 調布市上石原3-21-6
●お申し込み受け付けは、9月6日(火)午前10時からです。
担当石黒まで以下の電話・FAX・メールにてお願いいたします。
TEL 042-484-2531 FAX 042-484-3704
メール seibuk@W2.city.chofu.tokyo.jp
2011.08.10 | Trackback(0)
このほど私はベーシック・インカムについては当分語らないとに決め、このメルマガへの寄稿も中断することにした。これまで連載に付き合って下さった読者諸兄姉に感謝したい。中断の理由は、今の世界恐慌がさらに深刻化し、政府通貨による基礎所得保証という政策が抽象的理論的可能性ではなく、実際的で切実に必要なものとして世に認知される状況を待ちたいということである。そしてこの政策の実現に対する唯一にして最大の障害である議会制と政党政治に対し人々が完全に幻滅するまでは、余計なことは言わないということである。
日本でも海外でもBIはやはり福祉国家論の延長線上で論じられていることが多いように見える。そこから福祉と同じく所得税や消費税などによる税収がBIの財源とされる。こういう立場は現代の租税国家が恐慌にも関わらず今後とも存続可能であることを前提にしている。だが私からみると、我々が目下直面しているのはこの租税国家自体の解体の危機なのである。
では近代の租税国家とは何か。この国家は絶えざる経済成長を前提にして設計された国家である。国家は市民から強制的に徴税するが、税収は経済発展の条件を整備するために使われるので、経済成長が市民の福利や福祉をさらに充実させることになり結局徴税は市民にとってプラスになるという理屈で税制は正当化される。もし国家予算に比して税収が不足した場合には国家は銀行に国債を買ってもらって赤字を補填するが、これは臨時的例外的な措置であり、もちろん将来の経済成長を前提にしなければ国債の発行はできない。国や自治体が私企業のように事業の拡大を目指してなどいないのに銀行に借金して利子を払うのはおかしいだろう。だから国債の発行は財政上の一時的な困難に対処するためのあくまで臨時的例外的な措置なのである。
ところが1970年代以降の経済の低成長の中で先進諸国では国債による財政赤字の補填が常態になってしまった。成長を前提にした国家体制から転換できなかったからである。そのうえ90年代のバブル崩壊後の日本などは愚かにも国家主導の経済成長を意図して土建型公共事業バラマキ財政をやったため国家の銀行に対する負債は爆発的に増大した。これは自民党が成長型国家を維持するため、そしてバブル破裂で破産状態になった大手銀行を救済するための政策だったと言える。
そして負債に喘ぐ先進諸国の租税国家に対する止めの一撃となったのが、リーマン・ショックを契機にした銀行マネーの世界的な崩壊である。各国の政治家は銀行の利子経済の崩壊は経済そのものの崩壊を意味すると思い込み、国民の公金で事実上すでに破産しているゾンビ銀行を支えようとした。その結果銀行の危機と国家の危機は完全に一体化してしまった。今や各国の政府は銀行のエージェントにすぎない。例えばEUが財政的に破綻したギリシャやアイルランドに対して行った支援なるものは、両国の国民のためのものでなく、両国に貸し込んでいる独仏その他の大手銀行を助けるためのもので、この支援の結果両国の国民は孫の代まで銀行の債務奴隷として生き働くことになる。そして両国の政府がEUの大手銀行を債権者として納得させるために打ち出した過酷な増税や緊縮財政は経済をさらに冷え込ませる。しかもギリシャとアイルランドから搾り取ったマネーは結局ゾンビ銀行を立て直すことはできない。70年代以来の低成長に代わって今は金融資本の破綻から生じた底知れないブラック・ホールがあるのだ。
いずれ国の税収のすべてが国債を買った銀行への利払いに充てられる日が来れば、そこで議会制民主主義は終焉することになる。国家予算というものは無くなり、国家はもう市民に何のサービスもせず、銀行への上納金を市民から取り立てることだけがその役割になる。もちろんこの極限状態に到る以前に租税国家は解体し始めるし、現に解体しつつある。
では税金とは一体何なのか。現代経済は銀行マネーで動いており、銀行は私企業としての利益しか眼中にないので、その融資が社会にどんな影響を及ぼそうがお構いなしである。これでは社会は大混乱に陥るので、公共性を名分に掲げ社会を多少とも安定させることで銀行マネーの支配を補完する副次的な通貨流通のシステムが必要になる。これが租税なのである。だから順調な経済成長で銀行マネーが安泰な時期には福祉国家が拡大するが、銀行マネーが揺らげば福祉や社会保障どころではないことになる。そして租税国家は銀行マネーのサブシステムである以上、破産した銀行の救済に税金が投入されるのはある意味で”当然”なのである。
それゆえに租税国家の危機を打開するためには、銀行マネーに代わる通貨体制を構築するしかない。増税や緊縮財政はこの国家の自滅を促進するだけである。そして利子付き負債としてのマネーに取って代わるのは、政府が公共の福利のために国民経済計算上の客観的根拠に基づいて無利子で発行する政府通貨である。連載で述べたように、これについては、日本とドイツが政府通貨によって30年代大恐慌から速やかに脱却できたという歴史的先例がある。
しかしここで議会制と政党政治が政府通貨の発行に対する唯一で最大の障害として現れてくる。議会制は租税国家に適合した制度であり、そして会計としての国家財政を前提に税の取り方と使い方をめぐる党派争いで政治家たちが野心を満足させることが政党政治の存在理由である。しかるに国民経済の客観的な必要に基づいて通貨が供給されるようになると国家財政の財源という問題は消えてしまい、政党は存在する理由がなくなる。そこで必要とされるのは弁舌巧みな野心家ではなく良心的で賢明な通貨管理のプロである。こうした改革に対してはどの政党も死に物狂いで抵抗するだろう。
それでも万が一議会制の枠内で政府通貨が発行されたら何が起きるか。政府通貨は選挙で勝った党派が経済を私物化しその支配を永続させるために使われるだろう。中国の人民元はそういう共産党の独裁の道具としての党派マネーであり、党のパワーゲームのための通貨はウオール街のマネーゲームに劣らず歪んだ自己破壊的な経済を生み出している。
政府通貨が信認される根拠は政府の権威というより、その発行と使途の公共性についての全人民の合意である。だから政府通貨の発行に際しては、国家予算の編成の徹底的な民主化が必要になる。この民主化はそれほど難しくない。中央銀行と並んで中央の政府を廃止すればよいのである。具体的に言えば、国家を自治体の連合体として再組織し、各自治体が市民が参加して編制した予算案を国家信用局に提出し、信用局が国民経済全体の視点からそれらを調整し統合すればよいのである。この場合、信用局の主な課題はインフレの予防である。
そして一度政府通貨が発行されたならば、生産と消費を均衡させ経済を安定させるために、政府通貨によるベーシック・インカムの保証は不可欠な政策になるだろう。
私は12月27日に東京で「ベーシック・インカムについて考える」と題した講演をすることになっているのだが、ここでは主に租税国家の解体を問題にし、ベーシック・インカムは「まずBIありき」ではなく最後の結論として出てくるものであることを強調したいと思っている。そしてこれ以後当分はBIについて語らないつもりである。
2010.12.25 | Trackback(0)
この十一月に地元有志のお招きで東京都町田市で社会信用論について講演する機会があった。事前に幾つも質問が来たりしてベーシック・インカムや通貨改革に世の関心が急速に高まっていることを感じさせられる講演会になった。そして講演の後の質疑応答も演者の私自身の勉強になるようなものが多かった。しかしその中に一つ、私が戸惑ってしまった質問があった。会場の奥の方にいた若い男性から「政府通貨を所得保証その他公共の利益のために発行することは分かるが、その金自体の出所はどこにあるのか」と訊かれたのである。私はその場で質問の意味がよく分からず、その人を納得させるに足る明快な答えはできなかったように思う。そして後で質問を再考して彼が言いたかったことが分かって、社会信用論についての自分の説明不足に気づいた。
要するにこの人は通貨の問題を「会計」の観点から考えていたのである。政府通貨の発行を財政的な「支出」とみなすならば、左の「支出」の欄に対応して右に「収入」の欄がなければおかしい。三月に東京で講演した際にも、会場から似たような質問が出た。「話を聴いていると、政府通貨が個人と企業にどんどん供給されて、しかも回収されないように見える。インフレになるのでは」という質問である。これも政府による通貨の供給を会計の視点で「支出」と捉えている質問といえる。
しかし社会信用論においては、収入や支出という言葉は意味をなさない。会計とは結局損得勘定のことである。だが社会信用論における信用の社会化や基礎所得の保証は損得には関係のないことである。ゆえに政府通貨は会計や財政の視点で管理されるものではなく、それを個人や企業に供給することは「支出」ではない。このことを改めて説明しよう。
経済とは簡単に言えば「生産されたモノやサービスが消費されること」である。そして社会信用論においては、通貨と信用は生産されたものが消費される過程を順調に進行させる潤滑油のようなものになる。ダグラス少佐は、そのための交換手段にすぎない通貨を切符に喩えている。人々が電車を利用するためには切符を発行する必要がある。そして乗客が目的地についたら切符は回収され廃棄される。切符それ自体には何の価値もない。通貨もそれと同じで、生産されたモノの消費を促進すること以外には何の価値もない。人々が貨幣の価値をフェティッシュ的に信じ込むようになる原因は、銀行のせいで通貨(所得や資金など)が絶えずひどく不足する経済状況が作りだされているからである。そこから生産と消費ではなくマネーそれ自体が経済を動かしているという錯覚が生じる。もっとも現代の銀行経済においては、これは錯覚とは言えないのだが。
政府通貨は、個人と企業にその必要に見合う交換の手段を与えて生産と消費の過程を円滑にする目的で供給される。その企業に対する融資の在り方は、電力会社による電力の供給に似たものである。電力会社は、夏にはエアコンや高校野球のテレビ観戦による需要増大を見越して電力の供給を増やし、夜には人々が電気を消すので供給を減らす。このように電力は常に調整しながら供給されているので発電量の過剰や不足はまず起こらない。政府通貨もそれと同じで、国は国民経済の分析と予測に基づいて、生産のために必要と思われる量の通貨を企業に無利子で融資する。これは電力需要の予測や気象庁の天気予報に似た作業だから、政党や官僚の特殊利害などが混じってはならないものである。それゆえに政府から独立した公的機関である国家信用局が通貨と信用を管理することが望ましいだろう。
2009.12.26 | Trackback(0)
関曠野さんの「生きるための経済」の補足として、当日の司会の白崎が、ベーシックインカム論議でよく話題になるゲゼルの「減価貨幣」についての質問をさせていただきました。それが以下の文章です。
(白崎) ベーシックインカム(BI)の導入に賛成する方々の中に、BIを減価貨幣で支給したらどうか?というご意見がけっこうあります。この背景には、いくつかの論点が含まれているように思います。ご存知のようにこれは、シルビオ・ゲゼルの減価貨幣の考え方に基づいています。ゲゼルはお金の流通が滞るのが問題だと考え、お金の流通を速やかにするために、貨幣の価値が一定の割合で減っていくシステムを考えたわけです。減価すれば、どんどん貯めないでつかっちゃうだろうということですね。また、利子経済をなくすためにもマイナスの利子としての減価を考えている。それに減価はインフレ対策としても有効ではないか?というのですね。
特に地域通貨を実践している人たちは、1930年代の恐慌時にオーストリアのヴェルグル村で成功した「スタンプ貨幣」とBIのつながりを考えるようです。私も減価の割合によっては、部分的に減価貨幣を導入してみてもいいのでは?と考えることもあるのですが、このあたりのことについて、関さんのご意見を伺いたいと思います。
◆(関曠野) ゲゼルの減価貨幣論は現在欧米では殆ど話題にならないのに日本では意外によく知られているようです。これはだいぶ前にNHKがドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデの特集番組をつくり、その中でエンデが減価貨幣に言及したせいらしい。それで果てしない経済成長による環境破壊を憂慮する人たちがゲゼルの通貨改革論に関心をもつようになった。利子で動く経済は果てしない経済成長に向かい、最後には破滅する。それに対しゲゼルのマイナスの利子を課されて減価する貨幣は動植物の生命のように老化する貨幣として評価すべきだというのがエンデの主張のようです。
この評価は全くの勘違いに基づいています。エンデは児童文学者としては評価すべき人なのでしょうが、こと経済思想に関してはナイーブで世間知らずな人というしかありません。ゲゼルに関するエンデの誤解を広めたという点では、NHKも困った番組を作ってくれたと思っているんですよ。
とにかくゲゼルの減価貨幣は生命論などには何の関係もありません。ゲゼルが問題にしているのは、供給側と需要側という二つの立場の非対称性です。つまり商品を生産した企業とそれを仕入れた販売業者は、どうしても商品を売り捌かねばならない。さもないと倒産してしまう。生産し販売する供給側は商品を売り切ることを強制されている。ところが消費者の側には商品を買っても買わなくてもいい自由が常にある。
だから需要側=消費者にも供給側の立場に相応して商品の購入を強制する必要があるというのがゲゼルの考えなのです。使わないと目減りする減価貨幣は、消費者の自由を消滅させて商品の購入を強制するための手段です。この「強制」というのは私の解釈ではなく、ゲゼル自身が使っている言葉です。
しかし現在我々が直面している経済の危機を考えて下さい。
問題は、金持ちなのにケチな人が高級車や別荘を買おうとしないから景気が落ち込むといったことなのでしょうか。そうではなくて、会社が倒産して失業し、失業保険も切れてコンビニのお握りも買えないといったことが問題なのではないでしょうか。現代社会では人口の大部分は給与生活者かその扶養家族であり、それゆえに雇用、所得、物価といったことが大問題になります。
古典経済学はミクロの視点から経済を個人の行動や選択に還元します。しかし現代の複雑で高度に組織された経済は、一国の経済を集計して投資、消費、雇用、所得といった要素で分析するマクロの視点なしには理解できません。ゲゼルもダグラスと同様に利子や銀行制度の弊害を論じています。しかしゲゼルは利子や金融を企業会計の問題として捉えていない。彼の思想には、こういうマクロの視点がすっぽり抜け落ちているのです。
十八世紀の人アダム・スミスは、住民がみんな自営業者で彼らの商取引で社会が成立しているような状態をモデルに経済を考えました。ゲゼルの経済社会観は、このスミスと大して変わりません。ダグラス大佐はゲゼルの減価貨幣を「商業の繁栄しか考えていない」と批判しましたが、要するにゲゼルはマクロ経済学以前の人で、金融資本や大企業による市場の支配といったことは彼の視野の外なのです。彼には当時ドイツで猛威を揮っていたマルクス主義を批判しようという志があったようですが、十八世紀の発想に戻ることではマルクスを批判したことにはなりません。
ところで手持ちのお金を使わないでいると毎年少しずつ減価していくという仕組みは、貯蓄に対する処罰的な課税だと言えます。商業にはプラスでしょうが、このように処罰の恐れによって動く経済があっていいものでしょうか。また人々に消費を強制することはエコロジカルどころか、欲しくない商品まで買わせる浪費的な消費の奨励につながりかねません。これに対してダグラスの国民配当は、贈与を経済の原動力とするものです。
減価貨幣は三十年代大恐慌の際にオーストリアの小さな町で実験されて成功を収めたと言われています。しかしそれは地域的に限定され短期間に終わった実験にすぎなかった。長期間実験を継続していたら必ずマクロ経済的な問題にぶつかって挫折していた筈です。事実、同時期に似たことを試みたスイスの通貨改革運動は、結局ゲゼル思想を見限ったお陰で今日まで存続しています。これはさまざまな中小企業が緩やかな協同組合をつくりWIRという仮想の計算貨幣で相互の決済を行うもので、むしろダグラスが地域経済のために構想したシステムに似ています。
今この国では「格差」が大問題になっています。さまざまな格差は最後には各自が保有する貯蓄の格差に行き着きます。そして銀行はこの格差を特権に変える制度だと言えるでしょう
。銀行に預金をすれば、それには利子がついて魔法のようにカネがカネを産む。そして実体経済の裏付けがない銀行マネーのせいで経済が破綻しても、充分な貯金があれば経済的困難を容易に切り抜けられる。だから恐慌になると人々は貯金を溜め込んでしまうので経済の収縮が止まらない。経済が混乱する根本には、この貯蓄という問題があるのです。
それゆえにゲゼルもダグラスも貯蓄に縛られない経済システムを構想しました。そして目下先進諸国の中央銀行が政府を丸め込んでやっている量的緩和という恐慌対策も、貯蓄破壊の側面を持っています。膨大な紙幣を刷ってばら撒けば破産状態の銀行が抱える負債も減価して軽くなるし、人々は貯蓄を減価する前に使ってしまうようになるだろうという訳です。しかし皮肉なことに、このようにインフレで負債デフレを解決しようという策動がかえってデフレを深刻化させています。とはいえ長期的には量的緩和がハイパーインフレを惹き起こす危険は否定できません。そしてハイパーインフレほど社会を荒廃させるものはありません。
ゲゼルにせよオバマにせよ、貯蓄の破壊で貯蓄の問題を解決しようとすること自体が間違いなのです。この問題に対する唯一妥当で理性的な解決策は、信用の社会化と国民配当によって貨幣を富を分配する切符に等しいものに変え、貯蓄が経済を左右する今日の状態から脱却することです。利子は、それをマイナスの利子に逆転させてもやはり社会に弊害をもたらすでしょう。肝心なことは、富の私的所有に対する報償としての利子をなくしてしまうことなのです。
2009.09.02 | Trackback(1)
「生きるための経済――なぜ所得保証と信用の社会化が必要か」講演会関曠野さんご推薦の資料WEBサイト
2009年3月8日
1)まずダグラスが大恐慌のさなかの1935年にオスロで国王や実業界の代表を前に行った講演で、社会信用運動の核心が簡潔に要約されています。スクロールダウンしてください。
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=6870
2) これは今のアメリカで社会信用運動を代表するリチャード.クックのホームページ。インタヴューやエッセーが中心なので初心者にも解かり易いでしょう。オバマ大統領に送ったアメリカ経済再建のためのクックプランも掲載されています。なおクックはNASA 勤務時代にスペースシャトルの事故を予測し告発したことでも有名で、そのチャ
レンジャー関係の文書も入っています。
http://www.richardccook.com/articles/
3)これはカナダでダグラスの思想を広めたカトリックの宗教者ルイ.エヴァンの主著「この豊かさの時代にIN THIS AGE OF PLENTY」をそっくり読めるサイトです。ローマ教皇の言葉が引用されるなどカトリックの色彩が強いですが、社会信用論自体についてはダグラスよりはるかに噛み砕いて解かり易く説明しています。これを読めば社会信用論はすべて理解できると言えるでしょう。中高生でも分かるような平明な英語で書かれています。一番のお奨めのサイトです。
http://www.michaeljournal.org/plenty.htm
4)これはエヴァンが信用の社会化に基づく金融システムをより現実的制度的に詳しく説明したもの。すこし難しくなります。
http://www.michaeljournal.org/soufin1.htm
5)これはエヴァンと彼の共鳴者たちのマネーと信用をめぐるさまざまなエッセーを集めたもの。読みやすいものばかりです。スクロールダウンしてください。
http://www.itulip.com/forums/showthread.php?t=22512
(編集部・注 上記のルイ・エヴァンなどのサイトは、一部、以下の安部芳裕さんの「反ロスチャイルド同盟」のサイトで翻訳されています。)
http://www.anti-rothschild.net/material/41.html
6)これは本命のダグラスの主著「SOCIAL CREDIT」を一冊まるごと読めるサイトです。
ただダグラスは読者に親切な文章を書く人ではなく金融や会計の専門用語も出てきます。それでも読んでみたい人はどうぞ。上記のサイトを読んだ後でなら難解ということはないでしょう。
http://www.mondopolitico.com/library/socialcredit/prefacetoreviseded.htm
7)これもダグラスの重要なエッセーや適切な解説が読める良質なサイトです。
http://douglassocialcredit.com/
8)これは通貨改革論の立場に立つさまざまな人たちのマネーと信用に関するエッセーを沢山集めたサイトです。たいへん面白く勉強になります。今の英国で社会信用論を代表するMICHAEL.ROWBOTHAM の重要な論文も読むことができます。
http://www.prosperityuk.com/articles_and_reviews/articles/index.php
以上です。
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以下は、BI・実現を探る会側で選んだ、ダグラス(通貨改革)などにふれた日本語文献。
●『新しい貨幣の創造――市民のための金融改革』ジョセフ・フーバー/ジェイムズ・ロバートソン著 石見尚/高安健一訳 日本経済評論社
●『ベーシック・インカム入門』山森亮著 光文社新書
●『生産経済学より信用経済学へ』土田杏村著 第一書房(ただし、1930年初版のものなので、図書館で借りるか古書店[ネット古書店]での入手となる。)
●『貨幣の生態学――単一通貨制度の幻想を超えて』リチャード・ダウスウェイト著馬頭 忠治/塚田 幸三訳 北斗出版
● 『自由経済研究 第31号 特集 C・H・ダグラスの生産主義と会計主義 Ⅰ』 「ダグラスについて」や「ダグラス著作目録」なども所収。2008年1月 ぱる出版
● 『自由経済研究 第32号 特集 C・H・ダグラスの生産主義と会計主義 Ⅱ』 この特集では『経済民主主義』ダグラス著の翻訳所収 2008年7月 ぱる出版
● 『自由経済研究 第33号 特集 ゲゼル再論 Ⅰ』に『経済民主主義』ダグラス著の(中)の翻訳所収。
2009.06.16 | Trackback(0)
C・H・ダグラス(Clifford Hugh Douglas)について
・社会信用のはじまりは、この名前から始まった。その人の名は、クリフォード・ヒュー・ダグラス。彼は、1879年マンチェスター郊外の町ストックポートに生まれた。ケンブリッジ大学に進み、そこで数学の名誉学位をとった彼は、その進路としてエンジニアの道を選択した。
・ダグラスは、重要な仕事を任された優秀なエンジニアだった。インドでは、ウェスティングハウス社のマネージャー兼エンジニアとして、南米では、ブエノスアイレス大西洋鉄道社の副電気技術主任をつとめた。イギリスに戻ってからは、ロンドン郵政公社地下鉄の建設にたずさわり、第一次大戦中には、ファンボロウの王立航空機工場の工場長補佐の地位にあった。彼の肩書に「少佐(Major)」の名がつくのは、このときに、軍用機の製造にかかわったことからくるものである。インドでは、政府の強い求めで水力発電の調査をし、その計画の有効性を主張したが、「資金不足」で計画は棚上げとなった。これらの経験は彼に「金融問題」を気づかせることとなる。
・ダグラスは仕入原価会計の専門家でもあった。英国政府が航空機工場の経理における「ある混乱」を整理するために1916年にファンボロウへ彼を行かせたのは、彼のこの専門性のためである。 ダグラスは、ここでコスト計算や資金計画の必要性などの分析から、「A+B理論」(関曠野さん講演録を参照)の着想を得る。
ダグラスは、アカデミズム的な意味での経済学者の肩書はもっていなかった。しかし、誤った前提で研究している経済学による権威づけは彼には必要なかった。今日の経済の本質とその欠陥の分析において、彼は偉大な「経済思想家」とよばれるべきだろう。
・ダグラスは、最初、1918年12月号の「English Review」において“Delusion of Super-Production” という論文を発表し、その後にA・R・オレイジの論壇誌「新時代」に次々と論文を発表する。これらは、『経済民主主義』という著作として出版され、これが、ダグラスの最初の著作となる。同年には『信用力と民主主義』、続いて『社会信用論』(1923年)、『生産の統制と分配』(1931年)、『民主主義への警告とアルバータの経験』(1937年)などの著作が発表される。これらの著作とは別に、社会信用論の講演を世界各地でおこない、カナダ、オーストラリア、ニュージランド、日本、ノルウェーなどへ講演旅行をしている。
・イギリスやカナダでは、「社会信用党(ソーシャルクレジット)党」が誕生し、カナダのアルバータ州では、社会信用党の政府までが生まれた。彼は、それらの党のリーダーとなるように要請されたが、固辞し続け、理論活動とその普及に努める。
第二次大戦以降、亡くなるまで、ダグラスは、その社会信用論の思想を深めていく。
彼は、1952年9月29日にスコットランドの自宅で亡くなった。73歳だった。(文責、白崎一裕)
2009.06.15 | Trackback(0)
景気の底が見えない。日本でも海外でも目下経済は無情な悪循環の中にある。景気の悪化で企業の倒産や失業が増えれば人々の所得の減少で消費は落ち込み、それがさらなる倒産や失業を生む。今の経済危機の根本原因が人々の所得不足にあることは明らかである。だが危機の中であえいでいる企業に雇用による所得の保証は期待できない。しかも現代は産業のオートメ化が極限にまで進行した時代であり、たとえ経済危機がなくても現代人の大半は潜在的に失業者なのだといえる。
だが庶民の所得が回復しなければ経済は動きださない。それならば雇用と所得を一定程度切り離したらどうか。かねてから一部の人々の間で議論されてきた基礎所得(ベーシック・インカム)保証の制度は今こそ世間の関心を集めていい。これは、子供を含むすべての国民に個人単位で月八~十万の基礎年金程度の所得を生涯にわたり一律無条件に支給する制度で、支給に際し生活保護のような資格審査はなく貧富の差も考慮されない。この制度はおそらく危機の根本的打開策になるだろうが、問題はその財源である。税収が大きく落ち込む中で所得税や消費税ではこの制度にかかる膨大な費用を賄うことはできない。それでは経済の特効薬に見える基礎所得保証はやはり絵にかいたモチなのだろうか。
いや、そうではない。従来基礎所得保証の議論は福祉国家論の延長線上でなされてきた。そして「国民配当」の名で最初に所得保証の必要を論じたのは、大恐慌当時に社会信用論(ソーシャル・クレジット)を提起しケインズにも大きな影響を与えた英国のクリフォード・ダグラスであることが忘れられてきた。このダグラスにおいては所得保証は通貨改革の必要と一体になっている。そして彼の視点に立つならば、国民配当実施のための「財源」という問題は存在しないのである。
機械制大工業の時代に入ると企業には巨額の設備投資や研究開発費が必要になり、企業の経営は銀行の融資に左右され、「利子つき負債」である銀行信用がますます経済全体を動かすようになってくる。そのうえ企業の生産費用の中では減価償却費などに反比例して勤労者の賃金給与に充てられる部分が小さくなっていく。そして問題は、この事態が商品の価格を決定していることである。需要と供給の均衡で価格が決まるという古典経済学の説はもう通用しない。価格には銀行への返済や減価償却などの費用が含まれているのに、勤労者が雇用で得た所得は生産費用のほんの一部をなすにすぎない。ゆえに彼らは消費者としては企業が生産したものに見合うだけの購買力をもたない。こうして市場経済の現状では人々は所得不足、企業は販売不振に苦しみ、これは最後には恐慌に行き着く。
この状況に対し社会信用論は、信用の社会化、国民配当、正当価格という解決策を提示する。危機の根本は、銀行が自らの金融的利益の観点で実体経済に介入し社会の生産と消費を左右していることにある。だから政府が自ら公共通貨を発行し、社会の潜在的な生産と消費の能力に即してそれを無利子か超低利子で融資すればよい。そして人々の慢性的な所得不足を解消するためには国民配当が必要である。ダグラスによれば、生産は個々人の労働能力ではなく共同体の文化的伝統の成果であり、ゆえにすべての国民にはそうした伝統の相続人として配当をもらう権利がある。だがこれだけでは価格のひずみの問題は片付かない。かりに消費の低迷で経済に30パーセントの需要ギャップが生じたとすれば、それに等しい割合で小売価格を一律に引き下げる必要がある。そしてこの割引した分は後で国家から小売部門に補償される。こうして価格は、それによって生産と消費が均衡する「正当」なものになる。
社会信用論においては通貨は商品ではなく分配の手段である。それは消費のための生産を円滑に促進する切符のような手段であり、所得保証はそうした通貨供給の一環なのである。そして今日的な視角からも社会信用論は重要である。まず第一にこの方式の下でなら人々が環境保護を重視し基本的な欲求を充たした後は余暇を楽しむ生き方を選んでも経済に混乱は生じないだろう。そして現在の経済危機は明らかに文明の転機なのだが、省エネ化によるエネルギー収支の多少の改善は転換と呼ぶに値しない。おそらく文明の転換のためには無数の人々が草の根レベルで試行錯誤を重ねて新しい生き方を模索することが必要だろう。基礎所得保証の最も重要な意義はそうした社会の実験を容易にすることにある筈だ。
(朝日新聞中部版2009年5月12日の夕刊・文化欄に掲載されたものを転載)
2009.05.18 | Trackback(2)